2020.03.29
熱中できる事がある幸せ
僕にはその世代、その時々で常に何か熱中できるものがありました。
10代後半~20代前半はバイクやクルマ、20代後半はファッション。
30代~現在に至るまでは、ここで何度も書いているテニス。
そういった熱中できるものに出会えた事は、とてもラッキーで幸せな事だったと年を重ねる毎に感じるようになっています。
多くの仲間との出会いや、全く知らない場所へ訪れる機会など、沢山の人生経験を積むことが出来たからです。
あるに越したことはないですが、別にそういうものが見つからなくても不幸せな事ではないとは思います。家庭で過ごすことが最良であったり、一人が幸せであったり、人それぞれ色々あって良いとは思います。
ですが、それが何らかの理由で継続できなくなったときは非常に苦しい思いをします。
僕の場合は残念ながら今週からそれに突入してしまうことになってしまいました。
昨年10月の消費税増税後の不況に始まり、この度のコロナの影響で当社も少なからず受注に影響は出ていましたが、周囲の猛烈な景気の停滞感がどんどん身近に迫って来ており、今までと同じ生活スタイルを維持するのは無謀だという判断を早目に下し、今後の全てのテニスの予定をキャンセルしました。
景気悪化が明確なのに呑気に余暇を楽しむ余裕はありませんし、道義的に許されないでしょう。
できるだけ被害を最小限に抑える手立てを打ち、いち早く回復基調に乗せ、またテニスを再開したいとは思います。
ですが見通しの立たない周囲の現状や、日毎に悪くなる経済状況を見聞きする度に暗鬱とした気分がのしかかって来ます。
リーマンショック時も相当厳しかったですが、なんとか乗り越えました。今回はそれ以上の打撃になるという予測が多いですし、僕も外回りをしていてそう感じます。
政府の対策も、各支持団体の利権絡みに囚われてダラダラとしてハッキリした対応を取らない事がそれに拍車を掛けています。
一刻の猶予もなくスピード感が求められているこの状況下で、商品券やなんとか券などを配布するというような馬鹿げた案が報道される度に、情けなさと腹立たしさが激しく沸き上がって来ます。
一般市民の切実な声は本当に届くのでしょうか?
これから一年間ぐらいは僕にとって、勝負の年になりそうです。