2024.07.16
アメリカ合衆国:大統領選挙
今年は11月にアメリカで大統領選挙が行われます。
前回はバイデン氏とトランプ氏の対決となり、バイデン氏が勝利しましたがあれからもう4年も経つのですね。
当時は結果発表の翌日に新聞社から突然TELがあり、大統領選挙の結果についてコメントを求められました。その時のドタバタぶりは2020/11/9付けのブログで書いています。
まさか大統領選挙についての自分のコメントが全国紙に掲載されるなんて全く想像していませんでしたので、しどろもどろの回答がどのように掲載されるのか不安でたまりませんでした。
このときに、いつ何時どんな質問を受けてもある程度答えられるようにしておかなくてはならないと強く感じ、様々な媒体のニュースを調べるようになっていきました。
今回も今のところ前回と同じ二人の対決となっていますが、先日の銃撃事件が選挙結果に影響を与えることになるのでしょうか?
このブログでも度々選挙ネタは取り上げていますが、各選挙に非常に興味があります。
先週の7日に行われた東京都知事選挙は選挙権も無いのに、告示日からずっとその関連のニュースを追いかけ、政見放送を視聴したりネットの討論番組も多数視聴しました。
投票権が無い地域の選挙に注目する理由としては、立候補者の話し方研究や自分と同じような考えの人がいるのかどうかを調べたり、逆に自分の考えが全く及ばないような意見を聞くためです。
誰が当選するかはほとんど興味がありません。
泡沫候補と扱われている立候補者でも、政見放送や討論を聞いてみると政策に共感できる部分もあることはあるのですが、当選後に大勢の人々を巻き込んで政策としてそれが本当に実行できるのか?疑問符が付く候補者も多いように感じます。
議員や首長ともなれば、いくら民意を得て当選したからといって独断専行は出来ません。
仮に公約通りに当選しても全ての公約に賛成している訳でもないので、大勢の人をなんとなくでも納得させることができる能力が求められます。
↑
大抵の落選している候補者は自分の主張に熱くなり過ぎていて、傍から見ているとこの能力が欠如している印象を有権者に与えているように思えます。
ケンカ腰のような論調や、相手を知識やロジックで言い負かすことに必死になっている姿は一部の共感を得ても、大勢にまでは広がりをみせないように感じます。
多数の意見を聞いたうえで妥協できそうな微妙な落としどころを調整し、皆を納得させることができる能力を日本人の有権者の多数は求めているのかもしれません。
そのような風潮が今後の日本にとって良い事なのかどうかは分かりません。
それを続けていくのもひっくり返すのもまた選挙(投票行動)です。