2018.01.17
23年
阪神淡路大震災からもうこんなに経ちました。
当時、震源地からは遠く離れた香寺町に住み、高校生だった僕もベッドを突き上げる激しい揺れに飛び起きました。
が、寝ぼけていたこともありそこから全く動くことが出来ませんでした。
揺れが始まる前の数秒前に、外で飼っていた犬が吠え出し、鳥がバサバサ飛び回る音を確かに聞いたことを今でもハッキリ覚えています。
それ以来、小さな揺れにも神経過敏になり、動悸が激しくなってしまいます。
阪神大震災以降も日本各地で悲惨な大規模災害が起きています。
被害を最小限に抑える為に、自宅や職場でも非常食の備蓄や避難経路の確認等が必要とは思いますが、いつ来るか分からない災害に備えるというのは気持ちの面でも非常に難しいです。震災の記憶も薄れていきますし、語り部も少なくなればなおさらです。
今の神戸の街並みを見ても、震災があったとは思えないほど綺麗になっています。
当時を思い出したくない人も大勢いるので、どのような状態であったのかをハッキリと映像などで映し出すことをためらう事も多いようです。
今後、どの様にして減災に向けての活動を地域や家庭で行うのが良いのでしょうか。
少子化によって空き教室もあるだろう学校に非常食の備蓄施設を造るのも良いかもしれません。地域ごとに避難場所や連絡網をハッキリと記したものを作成する等、コミュニティの協力も必要でしょう。
震災を経験した兵庫県だからこそ、協力して他の地域の手本となるような防災・減災施策を率先して打ち立てていくべきだと思います。